【徒花】10
2020.08.21
「はっ!」
自身の失態にアネモネが気づき、彼女の顔色が青ざめた直後、そう遠くない場所で誰かの叫ぶ声が聞こえる。間違いなくそれは自分たちを追跡する者たちの声であり、断片的に聞こえるそれらから今の自分たちの騒ぎを聞きつけた気配があった。
「わ、わっ……ど、うしましょ……」
青ざめたまま怯えるアネモネに対して、イリスは苦い顔をしながらも落ち着いた態度を見せた。
「……近づいてくる人の数が多い。ここに身を潜めるのは危険だけど、だからと言って逃げ切れるかどうか……戦うしかないかもね」
「た、戦う、ですか……?」
イリスの判断を聞き、アネモネの顔色はなお一層蒼白に変わる。そうして彼女は無意識にだろうか、不安げにイリスの腕をつかんだ。
「わ、わたし……たたかうなんて、できませんっ……そんなこと、ぜったい、に……っ」
震える声でそう絞り出されたアネモネの声に気づき、イリスは彼女へと視線を向ける。見遣った彼女は尋常ではない恐怖に怯えた表情で俯き、小さな肩を震わせていた。アネモネのその様子を見たイリスは、ほんの僅か優し気に目を細めてアネモネに告げる。
「大丈夫、君は私の後ろにいてくれればいい」
イリスは軽くアネモネの頭を撫で、驚いたように顔を上げた彼女に、安心させるように笑顔を向けた。
「正直、誰かを守れるほどの強さは無いけど、私が戦うから……君は後ろで見守っていて」
◇◆◇◆◇◆
真っ暗な部屋の中、ひどく騒がしい窓の外を眺めながら”彼女”は紫電の眼差しを細める。
屋敷の窓から眼下を眺める彼女の瞳に映るのは、深く暗い夜闇と黒い森。か細い銀の月明かりが頼りなく照らす黒の森の中で、時々鮮やかな赤に燃える篝火が複数見え隠れする。
「……いつもは静かな夜なのに、とても賑やかで……まるで、禍の予兆のよう」
彼女は夜の森の中に時折見える篝火の光を眼差しで追いながら、そう独り言のようにぽつりと呟いた。
直後、部屋のドアが遠慮がちにノックされる。彼女は窓の外に視線を向けたまま「どうぞ」とドアの外へと声をかけた。
するとドアが明けられ、長い銀髪を一つに束ねた長身の男が部屋の中へとやってくる。男は深く頭を下げて”彼女”へと一礼した後、静かな口調で彼女へと言葉を向けた。
「失礼します、”シルベストリス”様……お休み中かと思いましたが、火急の知らせがありまして」
シルベストリスと呼ばれた女性は振り返り、訪ねてきた男へと穏やかな視線を向ける。
「大丈夫ですよ。この通り、起きていますから」
シルベストリスは白にも銀にも見える白縹色の長い髪を軽く掻き上げながら薄く微笑み、「それで、どうしたのですか?」と男へ訪ねた。