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【徒花】11

2020.09.03

「あなたが……ジェイドがそんなに慌てているなんて珍しい……よほどのことが起きているのでしょうね」

 ジェイドと呼ばれた男は表情こそ落ち着いていたが、しかし部屋にやってきた態度や雰囲気から彼が焦っていることが伝わる。ジェイド本人も「はい」と正直に頷き、シルベストリスに用を伝えた。

「巫女が逃げ出しました。……あの青年と共に」

「そう……」

 ジェイドの報告に、しかしシルベストリスは穏やかな態度を変えることなく返事を返す。ただ、僅かに何かを思うように眼差しを細めた。

「あの青年とは……女神の末裔の?」

 シルベストリスが落ち着いた声音でそう問うと、ジェイドは「えぇ」と短く頷く。ジェイドの返事を聞き、シルベストリスはもう一度「そう」と言葉を返した。そうして再び視線を窓の外へと向ける。

「逃がしたのは彼ですか?」

「おそらく、そうかと思われます」

「……そうでしょうね。アネモネ一人であの場所から出ることなど、出来るはずがない」

 そう呟き、シルベストリスはすぐに「いえ、違いますね」と自身の言葉を訂正する。

「彼女があの場所から出ようなんて、それ自体を考えるはずもありませんからね。彼女は私の”お人形”さんですから」

 窓の外を見つめる紫電の眼差しは一見優しい女性のそれであったが、しかしそこには何の感情もない。無感情な眼差しのままでシルベストリスはジェイドに向き直り、薄く微笑んだ。

「お人形を持ち出すなんて、困った女神様ですね。でも……彼が一緒ならば、そんなに慌てることでもないでしょう」

「なぜでしょう?」

 不思議そうな表情で問いを返すジェイドに、シルベストリスは感情のない笑顔のままでこう答える。

「彼は万が一アネモネが禍に飲まれたとしても、彼女を止めることができますからね。そのための『女神の力』です」

「しかし、そうは言っても……危険ですよ。あの禍は、世界を滅ぼす……」

 不安げな表情を返すジェイドに、しかしシルベストリスはやはり笑みを返すばかりだった。
 そんなシルベストリスに対して、ジェイドは眉間に皺を寄せた表情で意見を伝える。

「……シルベストリス様がそのようにおっしゃっても、禍を逃がすなど……そんなことが同盟内や他国に知れたらどうなるか」

「確かに面倒ですが……秘密にしておけばいいのでは?」

「マーシェンス家より定期的に監視も来ますし、隠し通せるものではありませんよ」

「そうでしょうか……」

 小首をかしげるシルベストリスは、ふと思いついた表情でジェイドへとこう告げた。

「では、監視が来たときは私が『禍の巫女』の代理をしましょうか。それでしばらくは隠せるのでは?」

「シルベストリス様?」

 突然の提案に驚くジェイドへ、シルベストリスは悪戯っぽい笑顔を向ける。困惑するジェイドの表情を確認するとシルベストリスは窓の方へと顔を向け、窓の外で煌々と輝く月へと眼差しを向けた。

「だって彼女……アネモネと私は、『同じ』ですから」

 白銀の月明かりの下に照らされるシルベストリスの形姿は美しい少女の外見であった。イデア同盟内で盟主と同等、あるいはそれ以上の強大な影響力を持つ『シルベストリス家』の家長である人物とは思えない、華奢で幼い容姿の女性である。そして、同時にその姿は『禍の巫女』と瓜二つでもあった。顔立ち、体格、声などすべてがアネモネと同じである。唯一の差異を指摘するならば、髪の色素が僅かにアネモネよりも薄い白縹色であるということだけであろうか。

「えぇ、きっとうまくいきますよ」

「し、しかし……ロットー様は誤魔化されないのではないでしょうか……彼はシルベストリス様と、その……」

 何かを言い淀むジェイドの意見を聞き、シルベストリスはほんの少し不機嫌そうに眉根を寄せる。しかしすぐに不機嫌を消し、困った様子で「そうですね」と呟いた。

「巫女としてふるまうときは、ロットーとは顔を合わせないようにしないといけませんね」

「……私は、早急に巫女を捕えるのが最良ではないかと思います」

 ジェイドの言葉を受けて、シルベストリスは再び視線を窓の外、眼下の森へと向ける。

「捕まるでしょうか?」

「巫女が逃げたことが公にならぬよう、最少人数での捜索をしておりますので……厳しいかもしれませんが、最大限努力いたします」

「巫女は手ごわいですよ。あの女神の青年も……やはり私が代理をする覚悟をしておいた方がいいでしょうね」

 シルベストリスの言葉に対して、ジェイドはひどく苦い表情を浮かべる。「その、最悪の展開にならぬことを祈ります」と疲れたように言葉を零したジェイドに、シルベストリスはただ静かな笑みを浮かべるだけであった。


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