【徒花】03
2020.07.31
アネモネの言葉を聞いて、イリスは怪訝な表情を浮かべる。
「なんで私だけ?」
アネモネの部屋に好き好んで近づく者はいなかったが、食事を運んだり監視のために訪れる存在は自分以外にもいたはずだ。そんな中でなぜ自分だけ印象に残っているのかと、イリスは当然の疑問を口にした。
するとアネモネは動揺からか再び照れた様子を見せた。
「あぁっ、違うんですっ!」
「しっ! 静かにっ」
「むぐっ」
思わず大きな声を出すアネモネを注意して、イリスは彼女の口を両手で塞ぐ。もごもごと何か訴えるアネモネを無視して、イリスは周囲を警戒するように鋭く見渡した。
「……っと、大丈夫か」
イリスは周囲に人の気配が無いのを確認し、アネモネを解放する。アネモネは涙目で「びっくりしました」とイリスに訴えた。
そんなアネモネに、イリスはやや呆れた表情を向けて言葉を返す。
「びっくりしたのはこっちだよ。急に大きな声出すから……まだ追手がいるかもしれないんだよ?」
「はっ! す、すみません……」
「いいよ、静かにね。それより、なんで私だけ覚えてたの?」
「それは……」
アネモネは少しの戸惑いの後に、遠慮がちにこう口を開いた。
「あなたが『女神の末裔』だから……」
「!?」
アネモネの言葉に、イリスは僅かに目を見開いて驚愕の反応を示した。しかしすぐに落ち着いた表情となり、アネモネに問いを返す。
「知っていたの?」
イリスの問いに、アネモネは小さく頷いた。
「そう……どうして? 君と私は言葉を交わしたこともないのに」
「そ、それは……わかります。だって……私が、”禍”だから……」
アメジストのような光を湛えた眼差しを真っすぐにイリスへと向けて、アネモネはそう答える。その彼女の強い眼差しは、彼女が部屋に閉じ込められていた時にイリスが見ていたそれと同じであった。
絶望の状況に居ながらも正気を失わない、不思議な強さと意思を持つ彼女の眼差しがイリスを射抜く。
「『禍』である私には、女神の力を持つあなたが必要……私が、私でいるためには……。だから、わかるんです」
「……」
アネモネ――彼女は人々から『禍の巫女』と呼ばれている。そしてそれ故に彼女は人々に監視され、たった一人部屋に閉じ込められて生きてきた。
では、『禍の巫女』とは何なのか。
それは端的に言えば『生贄』であると、そうイリスは考えている。
「あ、『禍』は、もちろん、ご存じです、よね……?」
「あぁ、うん。かつて、この地に災厄を引き起こした邪神『イシュオットメアリ』でしょう」
イリスがそう答えると、アネモネは「はい」と小さく頷く。そうして彼女はぽつりぽつりと囁く声でこう続けた。
「かつて、この大陸では……たくさんの人の命が、奪われました。突如、まるで洪水のように……大地が瞬く間に、紫焔に包まれて……多くのヒトを、焼き尽くしました……」
アネモネが語るその日は後世で『審判の日』と呼ばれ、その出来事があった日を境にイリスたちが暮らすこの大陸の歴史は大きく変わることとなる。
かつてこの大陸には二つの種族が存在していた。
一つは獣の特徴を体の一部に持つ「ゲシュ」と呼ばれる種族。そしてもう一つは獣の特徴を持たない「ヒト」と呼ばれる種族である。
アネモネとイリスは同じ猫の耳を頭部に持つゲシュだ。ゲシュには他にも頭部に兎や熊などの耳を持つタイプや、あるいは尻尾を有するタイプがいる。そして現在、この大陸に住まう種族のほとんどは「ゲシュ」である。
一方でそれら獣の特徴を持たない種族である「ヒト」は、今この大陸にほとんど存在しない。
それはなぜか……――きっかけは「審判の日」であった。