【徒花】14
2020.12.22
「追手に追い付かれるから、こっちに逃げよう」
「……」
迷ったのはほんの刹那で、イリスはアザレアの言葉に頷く。彼は「ついていくから案内を」と短くアザレアに告げ、アザレアは小さく兎耳を動かして頷くと、彼に背を向けて駆けだす。イリスは彼女を見失わないよう、アネモネの腕を引いてその後を着いていった。
アザレアの先導により、イリスとアネモネは漆黒の森の中を進んでいく。
深い闇に包まれた森の中は自分の居場所を見失いそうになるが、不思議とアザレアは迷いのない足取りでイリスたちの先を行く。アザレアに着いていくので精一杯のイリスは、彼女がどこを目的にして進んでいるのかを問う余裕はなかった。
(もしこれが罠だったら……)
脳裏にそんな考えが浮かぶが、しかし一度彼女を信じて着いてきてしまっているのだから、そんなことを考えても仕方がないとも思う。アネモネの知り合いだと言う桃色の少女を信じるしか、今の自分たちに出来ることは無いだろう。
「もっと早く走れる? あと少しだから」
アザレアが前を向いたままそうイリスたちに声をかけ、イリスは咄嗟に遅れそうになるアネモネの腕を強く引く。
「いたっ……」
「あ、ごめん」
急ぎ過ぎて少し強く引っ張りすぎたと、痛みを訴えたアネモネの様子でイリスは気づく。彼は少し手を緩めてアネモネに謝罪するが、アネモネはほんの僅か微笑んで「ごめんなさい」と彼に返した。
「へいき、ですっ……走りますね、私っ……」
「……うん」
アネモネの返事を聞き、イリスは頷く。するとアザレアが「あそこに身を隠そう」と声をかけ、イリスは彼女が示す方へと走った。
「ここで少し……こっち、隠れることが出来るから休もう」
そういってアザレアが足を止めたのは大きな岩場の影だ。すぐ傍には聳える高さの崖があり、イリスは足を止めてその崖を見上げた。
「イリス……」
アネモネに声をかけられ、イリスはハッとした様子で彼女に視線を向ける。ひどく疲労した様子の彼女にイリスが「大丈夫?」と声をかけると、アネモネは肩で息をしながら「はい」と返事を返した。
「二人とも、こっち」
アザレアが手招きする方へと、イリスはアネモネの手を引いて歩む。岩場の影に身を隠すように腰掛け、イリスは周囲に追手の気配が無いかを確認した。
アネモネもイリスの隣に一旦腰を落ち着けると、アザレアは彼女の傍によって声をかける。
「アネモネ、大丈夫?」
「アザレア……」
アザレアに声をかけられ、アネモネはまだ乱れる息を整えつつ「久しぶり、ですね」と応えた。ほんの僅か微笑んだ彼女は、表情の変化の乏しいアザレアにそっと手を伸ばす。
「私のこと、覚えてて、くれたんですね……」
「アネモネこそ覚えてたんだね。アザレアのことなんて忘れてると思ってたから驚いた」
『驚いた』と言いつつも無表情に近い顔で自分を見るアザレアに、アネモネは少し笑って「アザレアは変わってないですね」と言う。
「そう? アザレア、結構変わったけど。身長伸びたし、強くなったよ」
「そうですね……背は大きくなったけど、ええと……そうじゃなくて、雰囲気が変わらないって、そういう意味なんですが……」
二人の会話を横で聞いていたイリスは、追手の気配が無いことを確認してから二人に声をかける。
「知り合いなんだね」
「あ、えっと……そうなんです、あの……小さい頃に、実は私……」
イリスに問われ、アネモネはハッと顔を上げて彼に説明しようとする。するとアネモネが説明するより先に、アザレアが口を開いた。
「はじめまして、女神様。アザレアはアザレアって言います」
「……イリスでいいよ」