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【神化論SS】Lost Pain [side Vaizes]

2020.11.01

▼旧サイトでリンク切れで見れなくなっていた、ヴァイゼスの闇を凝縮した話の再録です。
ジューザスが前代表からヴァイゼスを乗っ取る話。
レイリスがとてもとても可哀想……この人いつも暴行受けてませんかね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【Lost Pain [side Vaizes] 00】

 私たちは従順な飼い犬のふりをする。主の命令ならば自分の心を殺し、肉親を殺める事だって厭わない有能な飼い犬を演じる。
 狂いそうな心を残酷な微笑みで隠しながら、侵食に気づかれないように私たちはただの駒を演じ続ける。
 
 それが全て”命令”ならば私たちは、望まない殺戮を繰り返し、理不尽な暴行に耐え、志した事とは相反する行為を行う。
 狂気の檻に囚われた私たちには、いつか必ずこの檻から抜け出すと誓いながら、しかしそういうふうに生きる事しか許されないのだ。
 
 
【case.1】
 
 少女は泣き叫んでいた。血は繋がっていないはずの、変わり果てた姿の母親にしがみつきながら。
 少女が何と言って泣いているのか、私にはわからない。私の頭が少女の悲しみを理解するのを拒んでいるようだ。
 
「ごめん」
 
 身勝手な私の謝罪は、少女の耳には届いていないだろう。涙に濡れる少女の目は、鮮血に塗れた母親ばかりを映していた。
 
「ジューザス、早く子供をつれて来い。時間がないんだ」
 
 子供とその母親の死体を前に私が立ち尽くしていると、仲間の男が声をかけてくる。私は母親の血で汚れた剣をそのまま鞘に収め、うずくまって泣く少女に近づいた。
 
「ごめん」
 
 少女にとって何の意味もない謝罪が、再び私の口から漏れる。これは私の薄っぺらい良心を保つための言葉だ。私は最低な人間だから、そんな者の謝罪にそれ以上の意味はない。
 私は少女の腕を掴み、力の入っていないその体を無理矢理立ち上がらせる。少女は腕を振り払う事もせず、ただ母親を見つめ涙し続けた。
 
 少女を引きずるような形で、私は仲間の元へ戻る。
 少女の細い腕を引っ張る度に、心が凍り付いていくかのように何も感じなくなっていく。もう少女の悲痛な叫びも泣き声も、痛みを訴えるものは全て私の耳には届かない。
 
「辛そうな顔をしているな、ジューザス」
 
 仲間の男が私を見つめ、そう言葉をかけてくる。私は返す言葉が見つからず、黙って彼を見返した。
 
「仕方ない。ヴァイゼスに入ったからには、上の命令には逆らえない」
 
「……わかっているよ」
 
 男の静かな忠告に、私は力ない声でそう答えた。そして私は、腕を掴んだ少女に視線を落とす。
 少女はいつの間にか泣く事を止めていた。叫ぶ事も、抵抗する事もなく、少女は茫然自失としてただその場に立ち尽くしていた。
 紫色の瞳は光を失い、代わりに闇を宿す。それは心が壊れた少女が、残る僅かな自我を守るために残酷な現実を拒んでいるようで。
 
「わかっているけど……」
 
 嘘だ、私はなにもわかっていない。
 自分がなぜここにいるのかも、どうしてこんなことをしているのかも、私は何もわからない。いや、わからなくなっている。
 
「お前がヴァイゼスに入った理由はなんだ?」
 
「少なくともこんな事を繰り返すために入ったわけじゃないな」
 
「それは結果の話だ。俺は目的を聞いている」
 
 東方の大陸からやってきたという仲間の男は、私に鋭い黒の眼差しを向けて問う。私は彼の問いに答える代わりに、再びあの少女に視線を落とした。
 
 私は何のためにヴァイゼスにいる?
 私は不条理なこの世界を変えたくてここにいるんじゃないのか?
 異端の存在が拒まれる世界を何とかしたくて、だから私はヴァイゼスの考えを信じてこの組織に入ったはずだ。
 
 だが現実は残酷すぎる。
 所詮何かを成すには相応の犠牲が必要ということなのか。
 
「そいつ可哀そうな子だな。魔物と人の間に生まれたせいで俺たちに目をつけられた。……こいつもよくわからん実験に利用されて終わりだろうな」
 
 男が私の手から少女を奪い取る。男は少女の腕を引き、私に背を向けた。
 
「今のヴァイゼスのやり方に不満があるのなら、なにか別の方法で世界を変えてみろ。俺は別に止めないぞ」
 
 背を向けた男は最後にそう言うと、少女の手を引いて歩き出した。
 
「別のやり方……」
 
 異端が酷い差別を受けて排除されるこの世界を、何の犠牲もない方法で変える。
 
「それが出来たら、その子も泣かずにすんだのかな……」
 
 力なく呟いた私の言葉は、男の耳にも少女の耳にも届いていないだろう。
 
 冷たくなった女の死体。
 男に連れて行かれる少女。
 赤く汚れた自分の手、からっぽの心。
 
 そのどれもが、私が求めているものではない。
 
「いつか必ず、私は違う方法で世界を変えてみせるよ」
 
 遠ざかる少女の後ろ姿に、私は静かに呟いた。
 
 
【case.2】
 
 ヴァイゼスでのわたしの仕事は、とても簡単なものだった。
 面倒な説明はいらない、上に命令された人間を殺してくるのがわたしの役目。だけど単純明快な任務なぶん、それに失敗は許されない。
 任務に失敗したとバレれば、いつもわたしはあの男の部屋に呼び出された。
  
 ひどく薄暗い男の部屋に、わたしは今日も呼び出される。ここにわたしが呼ばれるのは、任務の話か説教のどちらかだ。そして今日はおそらく後者の方だろう。
 革張りの椅子に腰掛けた男を前に、わたしは不機嫌を隠す事ない態度で立っていた。
 
「女を一人逃がしたと報告を聞いたぞ、レイリス。どうしてそんなことをしたのか理由があれば言え、聞いてやる」
 
「……また監視を付けてたの?」
 
「わたしの質問に答えろ」
 
 その男はわたしを鋭い眼差しで見据え、「もう一度聞く、どうして女を逃がしたのだ?」と低い声で問うた。
 
「別に……逃げられたの。ごめんなさいね」
 
 わたしは男を睨みつけ、そう吐き捨てる。
 それにしてもわたしの任務にだけ毎回監視を付けることには腹が立つ。それだけ信用されていないという事なのか、それともいちいちわたしを部屋に呼び出して説教したいのか……その両方が理由か。
 
「レイリス、わたしはお前に全員殺してこいと命令したはずだ」
 
「だからごめんなさいって言ってるじゃない」
 
 呼び出されての説教にうんざりしていたわたしは、思わず攻撃的な口調で言い返してしまう。それが男の機嫌を損ねる態度なのだとわかっていても、この男が大嫌いなわたしの口は止まらなかった。
 
「口の利き方には気をつけろよ、レイリス。それがここの代表に対する態度か」
 
「……申し訳ございません」
 
 男は突然、無造作に立ち上がる。案の定わたしの反抗的な態度は、男の機嫌を損ねたようだ。
 二メートル近い長身の影がゆっくりとこちらに近づいてきて、わたしは思わず体を強張らせた。
 
「っ……!」
 
 冷や汗が背中を滴り落ちる。今更男に態度の悪さを謝る事なんてしないが、でもこれから起こると予想される”仕置き”にわたしはひどく怯えていた。
 体に教え込まれた恐怖で体が動かない。息が詰まり、わたしの足が小刻みに震える。
 恐怖で動けずにいるわたしの耳元で、近づいてきた男が気味が悪いほど優しい声音で囁きかけた。
 
「お前には老若男女問わず人を欺き油断させる方法の数々をしっかり教え込んだはずだ。それが弱いお前でも確実に人を殺せる術だから、わたしが直々にそれをお前に叩き込んでやったのだ……なのになぜお前は、わたしの期待を裏切り失敗するんだ?」
 
 視界がぶれる。激しい衝撃と打音に意識が揺さぶられ、気がつくとわたしは後方の扉に叩きつけられる勢いで吹き飛ばされていた。
 
「うっ……かはっ! げほっ!」
 
 男に蹴られた腹部を手で押さえながら、わたしは痛みと苦しさに激しく咳き込む。身を丸めて咳き込むなんて惨め過ぎて悔しい。でも痛くて苦しくて、わたしは男の前に無様な姿を晒した。
 
「お前はまったく成長しないな。失敗すればこうなると、一体何回わたしに蹴られれば覚えるんだ?」
 
「はぁっ……うるさい、黙れよゲス野郎……っ!」
 
 ありったけの憎悪を込めて男を睨みつける。わたしを無感情に見下ろす男は、身をかがめてわたしの髪を無造作に掴み上げた。
 
「いっ……た……」
 
「お前はこの理不尽な世界を変えたくてここに来たのだろう? だったらさっさとその反抗的な態度を改め、わたしの命令を忠実にこなせ」
 
 無理矢理上を向かされていた顔が、今度は床に叩きつけられる。衝撃に一瞬意識が飛び、わたしはか細い悲鳴を漏らした。
 
「その為にはいい加減何の役にも立たない、その無駄なプライドを捨てろ。ロクに仕事もこなせない弱い存在が強者に歯向かおうとするな」
 
 男の硬い靴裏が、床に転がる私の体を無遠慮に蹴り付ける。苦しさに耐え切れず、咳き込んだ口から胃液が吐き出された。
 
「お前はわたしの教えの何が嫌なんだ? 男に媚を売ることか? それとも女を騙す事か?」
 
「っ……アンタも含めて全部が嫌っ! どうしてあたしがそんなクソみたいな真似しなきゃいけないっ!」
 
 憎悪を吼えるわたしの頭を、男は喉の奥を鳴らして笑いながら再び掴み上げた。
 
「そうだな、人を欺き油断させたところを裏切るお前の行為は最低にクソだ。だがそんなクソみたいな真似でもしなくては、クソ以下のお前は役に立たないからな」
 
「ぐっ……」
 
「幸いお前にも人を騙す才能だけはあるようだしな。これほど打ってつけの役目もあるまい」
 
 わたしを嘲笑う男の顔が近づく。不快だ。こいつの顔は見たくない。わたしは男に向けて唾を吐きかけた。
 
「っ……」
 
 男の顔が一瞬不愉快そうに歪む。その様が心底愉快で、わたしは唇を歪め口汚い嘲りの言葉を男に向けた。しかしこれが本格的に男の機嫌を損ねる事となる。
 
「……生意気だな」
 
「あっ!」
 
 男は力任せにわたしの体を壁に叩きつけ、苦悶の表情を浮かべるわたしに底冷えする眼差を向けた。
 
「そんなにわたしが気に入らないのならここを出て行けばいい。もちろんわたしは裏切り者に容赦はしないから、生きてここを出れるという保障はしないがな」
 
「……アンタをぶっ殺してから出てってやるよ」
 
 感情のない男の眼差しと、わたしの憎悪と復讐に燃える視線が絡む。
 男は低く笑い声を発しながら、唇の端を限界まで吊り上げた。
 
「お前がわたしを殺す? それは楽しみだな。……だが無能で生意気な飼い犬はしっかりと躾け直さなくてはならない。”仕置き”が終わった後もその言葉が言えたのならば、少しはお前を認めてやろう」
 
 
 絶対に殺してやる。
 
 
【case.3】
 
 俺が七歳の時、母親は重い病で亡くなった。治せない病ではなかったらしいが、しかし俺の生まれた小さな村には、母の病気を治せる医者がいなかったのだ。そのため十分な治療を受けられなかった母は、帰らぬ人となってしまった。
 そんな幼少期の経験があり、俺は医者を目指すようになった。母のような助かる可能性もあった者の命を一人でも多く救いたいと、俺はそう思い勉強を重ねて医者になった。
 
 だが、現実はどうだ。
 ”命を救いたい”なんて言っていた俺が現実にやっていることは、それとは正反対のことだ。
 
 いつの間にか俺は、人殺しになっていたんだ。
 
 
 
「ヒス、終わったか?」
 
「……あぁ」
 
 背後から男の声に返事を返し、俺は静かにテーブルへ空の注射器を置いた。
 
 俺の視線は目の前のベッドに固定されたまま動かない。その上に眠る人物を、俺は無表情に見つめていた。
 白いベッドの上に寝かされているのは少年。先程まで弱い呼吸をしていた彼は、今はそれもなく永遠の眠りについている。
 
「今日はそいつだけだ。死体はいつも通り後で処理係が取りに来る」
 
「わかった」
 
 俺が返事を返すと、足音と共に人の気配が遠ざかっていく。気配が完全になくなると、俺は深く息を吐き出し瞑目した。
 
 少年の表情は安らかなものだった。しかしそれを見続けるのはとても辛い。なぜなら彼を殺したのはこの俺なのだから。
 ヴァイゼスに入った俺に任された仕事は、医師として人の命を救うことよりも人の命を奪うことの方が遥かに多かった。
 度重なる実験でもうこれ以上実験する事が出来なくなった実験体を、最後に安楽死させるのが俺に命じられた仕事の一つ。
 
「俺はなぜこんな事を……」
 
 人の命を救うと誓い医師を目指したはずなのに、現実の俺はその反対の行為を繰り返している。
 実験で苦しんだ人をせめて楽に死なせてやるのだと自分の心に言い聞かせ、俺は実験体に薬を打つ。しかしそう自分の心に言い訳をしても、やりきれない思いと『なぜ?』という疑問の声は消えない。
 
 俺が殺した少年はこの後、弔われる事も無く事務的に処理されていくのだろう。俺が過去何人と殺した実験体と同じように。
 
 
「俺はいつから医者ではなく、人殺しになったのだろうな」
 
 答えなどどこにも無いとわかっているのに、その答えが欲しくて俺は呟いた。
 


 今はまだあなたの望みどおり、従順なふりを続けよう。
 でも私はあなたの思うとおりの狂犬だから、いつかあなたに牙を剥くだろう。
 
 
◆◆◆


【Lost Pain [side Vaizes] 01】
 
 
 血生臭い、そんな不快な臭いが不思議と常に充満する室内。
 薄暗い照明の中で、私と彼は向き合っていた。
 
 
「……本当に、今のままでゲシュを救えるんでしょうか」
 
 私の口から思わず零れた本音。その疑問の言葉に対して、私の前に立つ男は無表情に私を見下ろしてこう口を開いた。
 
「なにか不満があるのか、ジューザス」
 
「……いえ、不満なんて……」
 
 男は暗い眼差しを私に向け、微かに笑う。喉の奥で不快な笑い声を上げながら、彼は私の顔を覗きこんだ。
 
「不満があれば言えばいい。下の者の意見を聞くというのも、代表として大切な仕事だからな」
 
「……何も」
 
「そうか」
 
 男は笑ったまま、私の言葉に頷く。「さっきのお前の独り言は、俺の空耳だというわけだな」と、そう男は笑い声と共に呟いた。
 
「えぇ、きっとそうでしょう」
 
「お前は面白い男だな、ジューザス。普段は俺に従順なふりをして、だがたまに面と向かって俺に逆らおうとする」
 
「逆らうだなんて、そんなことは……」
 
 私は苦笑しながら、そう男に言葉を返した。私の中にある狂気を、この男にだけは気づかれてはいけないから。
 
「……そうやって俺を欺こうとする態度も、最近は面白いと感じるようになった」
 
 男の手が私の前髪に触れる。私は特に抵抗などしなかった。
 長い前髪に隠された私の右目を、男は深い笑みを湛えながら見つめる。
 
「危険な目だ。お前のこの目は、いつか俺に仇なす目をしている」
 
「……」
 
 男の親指の先が、今度は私の右目の瞼に触れる。
 
「お前のことは気に入っているよ、ジューザス。従順な犬のフリをするところを含めてな。……だがこの目だけは好かん。お前のこれを見るたび、いっそ潰してしまおうかと思うんだよ、俺は」
 
 触れた男の親指が、私の目を潰すかのように圧力をかける。男は笑い、私は無言で彼を見返していた。
 
「……抵抗しないところはつまらないな」
 
 男の手が止まる。同時に彼の笑みも消え、彼は無表情に私を見つめた。
 
「お前は俺を勘違いしている。俺だって世界に忌み嫌われた混血なんだ、ゲシュを救いたいと本気で思っている」
 
「えぇ、知っています」
 
「……そうか、ならいい」
 
 男は最後にそう言うと、私に背を向けた。もう用は無いということだろう。
 
「では失礼します」
 
 そう言い私も彼に背を向ける。踵を返してドアに向かおうとした私は、しかし暗がりの中部屋の隅で倒れる”何か”を見つけ、驚きに思わず足を止めた。
 
「!?」
 
 私の驚きを察したのか、男が振り返る。そして私が視線の先に見るものに気づき、彼は「あぁ、そういえば忘れていた」とひどくつまらなそうな声で言った。
 
 死体のように力なく投げ出された手が、暗闇の中僅かな光に照らされて見える。蒼白の色に見えるそれは、血とそれ以外のもので汚れひどい有様だった。
 
「あれ、は……」
 
 暗がりの先にほんの僅か見えた薄青色の頭髪を見て、私は一瞬血の気が引くのを感じる。
 
「あれはお前とは違う、どうにも賢くない犬だ。よく主人の手を噛むのでな、ちょっとしつけた。まぁ死んではいないだろう」
 
 蝋人形のような手はぴくりとも動かない。相当激しい暴行を受けたのだろう。私は『死んではいない』という彼の言葉が信じられなかった。
 
「そうだ、暇ならそのどうしようもないクズを医務室に運んでおいてくれ」
 
「え? ……わ、かりました」
 
 振り返ると、男はまるでゴミを見るかのような目で部屋の隅に倒れているものを見つめている。やがて男は私の視線に気づき、「じゃあ頼む」と言って瀬を向けた。
 
 男が最後に私に向けたのは笑み。あれは私に対する警告だ。
 賢くない犬になればお前もこうなると、そう男の目は私に忠告していた。
 
 

◆◆◆

 
【Lost Pain [side Vaizes] 02】
 
 
 
「レイリスは大丈夫かい?」
 
 医務室の簡素な椅子に腰掛けながら、私はカーテンを開けて別室から出てきた白衣の人物に声をかける。
 
「あぁ、生きてはいるよ。まだ意識は戻っていないが」
 
 ヒスは疲れたような答えに、私は安心していいのかどうなのか迷った。だが命が無事だというのなら、やはり喜んでいいのだろう。
 
「それはよかったよ」
 
「だが今回はひどいな。その……とにかくしばらくは絶対安静だ」
 
「そうか……」
 
 私も自然と疲れた溜息が漏れる。確かにヒスの言うとおり、ここまで運んだレイリスの状態は本当にひどかった。かろうじて息をしていたぼろぼろの彼を見ると、反抗する者は肉体的にも精神的にも徹底的に打ちのめす、それがあの男のやり方だと改めて思い知らされる。
 しばらくして「コーヒー飲むか?」とヒスが声をかけてきたが、疲労していた為に私はそれを断った。
 
「……私もね、忠告されてしまったよ」
 
「ん?」
 
 ヒスは自分用にコーヒーを用意しながら、私の言葉に「何がだ?」と疑問を問う。
 
「リーダーにね、『自分に逆らうな』ってね」
 
「……」
 
 自嘲気味に笑いながらそう答えると、ヒスは少し難しい顔で私を見つめた。
 
「……それは、その通りだと思うぞ」
 
「私もわかっているよ」
 
 私がそう答えると、ヒスは眉間に皺を寄せた。そして彼は「どうだかな」と、小さな声で言う。
 
「レイリスは普段からあからさまに反抗しすぎだと思うが、お前は普段大人しくしてる分いつか何か大きなことをしでかそうで怖い」
 
「はははっ」
 
 彼の言葉に笑うしかなく、だから思わず笑ってしまうと、ヒスは呆れた視線を私に向けた。
 
「頼むから俺の仕事を増やすようなことはしないでくれよ」
 
「ヒスも素直じゃないな。素直に『無茶して怪我しないでくれ』って、そういう言葉で心配してくれたほうが私も嬉しいんだけど」
 
「あのなぁ」
 
 ヒスは本気で呆れたらしく、大きく溜息を吐いた。そして思い出したように、彼は表情を変えて私を見る。
 
「そう言えばお前が連れて来たあの大きな男」
 
「ん?」
 
 ヒスの言葉に私は少し考え、そして直ぐに思い当たることを口に出す。
 
「あ、クロウ?」
 
「そうそう。彼の腕、もう完治したからな」
 
「本当かい? それはよかった」
 
 クロウは私が任務で外に行っていた時に出会った冒険者の男だ。ひどい怪我をしていたから治療の為にここに連れて来たのだが、どうやらその怪我も全て完治したらしい。
 
「お前に会いたがっていたから、この後にでも会いに行ってやれ」
 
「そうか、わかった」
 
 そう返事をし、私は早速立ち上がる。
 
「それじゃあ私は行くよ。レイリスのこと、頼むよ」
 
「あぁ」
 
 ヒスは軽く手を振る。私が背を向けると、彼は「ジューザス」と真剣な声音で私を呼んだ。
 
「なんだい?」
 
 振り返ると、ヒスは眼鏡のレンズの向こうで私を責めるような目をしていた。
 
「さっきの言葉、冗談なんかじゃないからな」
 
「?」
 
 私が疑問の視線を返すと、ヒスは僅かに俯く。窓から差し込む光を眼鏡レンズが反射し、彼の視線は見えなくなった。
 
「お前がいつか、なにかやらかしそうだって話だ」
 
 ヒスは視線を隠したまま、「本当に心配なんだよ」と呟く。
 
「ただな、本気でお前が何かやろうって時はお前を止めないし……その、協力してやる。だからあれだ、頼むから一人で危ない橋を渡ろうとするなよな」
 
「……ありがとう、ヒス」
 
 私はヒスの言葉に明確な答えは返さず、ただ力ない笑みを返し医務室を出た。
 


◆◆◆

 
【Lost Pain [side Vaizes] 03】
 
 
 今日は満月なのだと、夜空を見上げて初めて気がつく。
 私と彼は施設内の中庭に立ち、星の輝く空を並んで見上げていた。
 
「満月か」
 
「そうだね」
 
 クロウの呟きに私は頷く。横目で彼を見ると、彼は自身の顔に刻まれた傷を指先でなぞるように触れながら、空を見上げたまま私にこう言った。
 
「あん時も満月だったな」
 
「……君と会ったとき、かな?」
 
「あんたに助けられた時だよ」
 
 クロウが私に視線を向ける。精悍な灰色の瞳には、彼の決意が宿っているように見えた。
 
「恩は返さねぇといけねぇな」
 
「そんな……いいよ、気持ちだけで」
 
 笑いながらそう返すと、クロウは「そうはいかねぇよ」と言う。その声がやけに迫力があり、私は思わず目を丸くして黙ってしまった。
 
「あんたは命の恩人だ」
 
「そんな大げさな」
 
 そう言って苦笑すると、クロウも表情を緩める。普段は怖い印象を持つ彼の顔だけど、笑うと思わずこっちも笑顔になってしまうような優しい顔だった。
 
「ま、大げさでもかまわねぇよ。俺は決めたからな。ここであんたの助けをするぜ」
 
「え!?」
 
 クロウの予想外の言葉に、私は思わず大きな声をあげる。「本気かい?」と問うと、彼は真面目な顔で頷いた。
 
「なんだ、迷惑なのかよ」
 
「そうじゃなくて、だって君はパンドラを探していたんだろう?」
 
 クロウは小さく笑い、「まぁな」と返事する。
 
「でも止めだ」
 
「そんなあっさり……本当にいいのかい? 君は奥さんと子供さんを……」
 
「……二人を失った時から、俺は何もやる気が起きなくなっちまったんだよ。それこそ抜け殻状態だった。毎日酒ばっか飲んでさ……でもある時そんなじゃいけねぇって、そう思うようになってな」
 
「……」
 
 クロウは自虐的な笑いと共に、自身のことを語る。だけど彼の話を聞く私は、とてもその話を笑って聞くことなど出来なかった。
 
「ま、結局パンドラを探していたのただ酒ばっか飲む現状を何とかしたかったっていう、その部分の動機だったってのが大きい。……別に俺だって本気でパンドラが何でも願いを叶えてくれる宝だとか思ってねぇよ」
 
「……でも君はそれを探していたんだろう。二人を取り戻したくて」
 
「……」
 
 クロウは笑みを消し、沈黙する。再び夜空を見上げた彼の横顔を、私は寂しい感情を胸に抱いて見つめた。
 
「……気持ちは嬉しいよ、クロウ。だけどここは君がいるような場所じゃない。……とてもね、残酷なところなんだよ?」
 
「なに言ってんだよ」
 
 クロウは私を見て笑う。その笑顔を、私は複雑な気持ちで見つめた。
 
「あんたがどう言おうと俺はもう決めたからな。……それによぅ、正直この歳で一人で生きんのも寂しいぜ?」
 
「クロウ……」
 
 彼は「とにかくそういうことだからよろしくな」と言い、私の背中をおもいっきり叩く。私の体は大きく揺れ、ついでにむせた。
 
「げほっ……クロウ!」
 
「はは、わりぃ! 怪我治ったら調子よくなっちまって力の加減出来なかったぜ」
 
 豪快に笑う彼を見て、私もついに笑みを零す。半分呆れた笑みだったけれど、それでも私も彼と共に笑った。
 
「……ジューザス、俺はこの場所に力を貸すんじゃねぇ。あんたに力を貸すんだからな」
 
 笑い声が止み、クロウは真剣な顔で改めて私にそう言葉を向ける。
 
「だからあんたが何か困った時は俺に言えよ。力になるから。……忘れんじゃねぇぞ」
 
「……あぁ、わかったよ。ありがとう」
 
 クロウの力強い言葉に頷きながら、私は昼間ヒスから受けた言葉を思い出していた。
 
 やはりそろそろ、従順なふりをするのも限界かもしれない。
 
「私が力を貸して欲しい時は、君にも声をかけるよ」
 
「そうしてくれ」
 
 クロウの返事を聞き、私は静かに笑った。



◆◆◆

【Lost Pain [side Vaizes] 04】
 
 
「ジューザス様、これ頼まれていた資料です。まとめておきました」
 
 エレスティンがそう言い、胸に抱え持っていた紙の束を私に差し出す。
 
「あぁ、ありがとう」
 
 礼を言いながら彼女が纏めてくれた資料を受け取る。エレスティンははにかんだ笑顔で、「また何かご用ありましたら、何でも仰ってくださいね」と言った。
 
「うん、じゃあまたぜひ頼むよ」
 
「はい!」
 
 エレスティンは癖毛の髪を軽快に揺らして、愛らしい笑顔で返事をする。しかしすぐに彼女は表情を真剣なものに変えて、「そういえばジューザス様」と、少し小さな声で私に語りかけた。
 
「どうした?」
 
「以前ジューザス様に入手を頼まれていたもの、揃いそうです。入手ルートは確保できました」
 
 彼女のその言葉に私は「そうか」と低く呟き頷く。
 
「いつくらいに揃う?」
 
「早ければ明後日くらいにもう集めに行きたいのですが、でもあいにく私はしばらく外に出る用事がありません。上手く理由をつけて出るつもりではありますが……」
 
 彼女が心配そうな表情をする理由は内部の監視の目だろう。私もそれは心配だ。あの男に私の計画がばれてしまったら困る。だがそれについても策はあった。あの男が飼い慣らそうとしている監視の犬は、私以上に危ない犬だから。
 
「大丈夫、レイリスには私が話しをしておくから」
 
「え?」
 
「……彼もきっと協力してくれるさ」
 
 私はそう言ってエレスティンに笑顔を向けた。
 
 
 
 以前怪我をしたレイリスはまだ怪我が完治していないようだったが、しかし包帯だらけでもう仕事をしていた。
 
「レイリス」
 
 人気の無い廊下を一人歩いていた彼に声をかける。レイリスは無表情に振り返り、「何か用?」とぶっきらぼうに私に返事を返した。
 
「うん。ちょっと頼みがあって」
 
 だから私の部屋に来ないかと言うと、彼は「下手な誘い文句ね」と言いながら笑った。
 
 
 
「……で、あたしにも協力しろ、と」
 
 単刀直入に話すと、レイリスは冷めた眼差しで私を見つめ、「嫌」ときっぱり言った。その返事に私は苦笑する。
 
「それは困るな。君にもうこうして話しちゃったからなぁ……そう断られると全てが台無しだ」
 
「台無しになるとどうなるの?」
 
「私と、あと数人が困ることになるかな」
 
 私の答えにレイリスは興味なさそうな顔で「なら勝手に困ればいいわ」と言う。
 正直簡単に協力してくれると思っていた私は、彼のこの態度に早速ちょっと困ってしまった。
 
「なぜ嫌なんだい?」
 
「興味ないから。面白そうでもないし」
 
 レイリスは本当につまらなそうに、腕を組んで窓に視線を向けている。そんな彼に私は「君はあの男が嫌いなんじゃないのか?」と、少し意地悪い質問をした。
 
「……世界で一番嫌い」
 
 レイリスは外を見つめたままそう答える。
 
「ならその男に復讐したいって、君はそう思わないのかな?」
 
 私の問いは本当に意地悪だと、そう自分でも思う。でも仕方ない。彼の協力が得たかった私は、彼の心の弱い部分に触れる質問を繰り返した。
 
「彼がいなくなれば君は自由になれるよ」
 
 しかし私のこの一言に、彼は「自由なんて望んでない」と小さな声で答える。私が少し驚いた顔をすると、彼は私に視線を戻してこう口を開いた。
 
「あいつがいなくなったら……そしたらここはどうなるの?」
 
「……君はどうなってほしい?」
 
 レイリスは目を伏せ、「別に、どうも……」と少しの迷いが滲む声で答える。その言葉に、私は彼の望みがなんとなくわかった気がした。彼にはもう、ここ以外に居場所が無いのだろう。
 
「ここは変わらず、ヴァイゼスとしてあり続けるよ。ゲシュ救済の為に、私が代表になろう」
 
 だから君の居場所はあると、私はそう囁く。レイリスは感情無い眼差しでしばらく私を見つめ、やがて彼は浅い溜息と共に私に背を向けた。
 
「レイリス?」
 
 出入り口に向かおうとする彼に、私は声をかける。レイリスはドアノブに手をかけ立ち止まり、背を向けたまま私にこう言った。
 
「あたしは何をすればいいの、ジューザス」
 
 

◆◆◆

 
 
 彼はいつかに『賢くない犬になるな』と私に忠告した。
 だが私みたいな賢くない犬を飼う彼は、もっと賢くない飼い主だと思う。だから飼い犬に手を噛まれても仕方ないだろう。いや、私は骨まで喰らう狂犬だから、全部を喰らい尽くしてやろうと思う。
 
 
【Lost Pain [side Vaizes] 05】
 
 
「ジューザス様、例のものは全部ヒスに渡しておきました。明日には調合したのをあなたにお渡しするそうです」
 
 部屋にやって来たエレスティンが、私にそう報告をする。私は「ありがとう」と、彼女に言葉を返した。
 
「……いよいよ、やるんですか」
 
 エレスティンの静かな問いに、私は顔をあげて彼女を見る。彼女は少し不安げな顔で、私を見つめていた。
 
「すまないね、君までこんな危険な賭けに巻き込んでしまって」
 
 私がそう謝罪すると、彼女は即座に「いえ、そんなことは!」と言う。そして目を伏せ、彼女は寂しげな口調で呟いた。
 
「私も今の状況には正直……本当にこんなに犠牲を出さなくてはゲシュは救われないのかって、そう思っていたから……」
 
「……そうか」
 
 優しい翠の瞳が愁いに揺れる。私は思わず彼女の頬にそっと触れた。
 
「ジューザス様……?」
 
 驚きに目を丸くする彼女に、私は微笑む。
 
「大丈夫、きっとここは変わるよ。私が変えてみせる」
 
「……はい」
 
 泣き出しそうな瞳に、私は「大丈夫だよ」ともう一度囁いた。
 
 
 
 準備は整った。協力者も道具も作戦も、必要なものは全てが揃った。
 後はこの狂気の檻から抜け出すために、私自身が狂気に身をゆだねて行動するだけ。
 
 ヒスから受け取った薬と酒瓶を片手に持ち、私は私の飼い主の元へ向かった。
 
 
 
「……いつか俺はお前に言ったな。お前のその目は、俺に仇なす目をしている、と」
 
「えぇ、言いましたね」
 
 冷たい床に倒れた男の上に馬乗りになり、私は彼の言葉に頷く。私の長い髪が男の顔に垂れ、男の顔に暗い影を作った。
 
「やはりお前のその右目は潰しておくべきだったな」
 
 男のその言葉に、私は彼を見下ろし声無く笑った。
 
「……お前が飲んだワインに口をつけたのに、何故だ?」
 
 その男の疑問に、私は笑んだままこう答える。
 
「あなたにしか効かない毒をわざわざ調べて調合してもらったんですよ。正確にはあなたが血を引く黒翼種にしか効かない毒、ですけど」
 
「なるほどな。そんなものがあったとは初耳だ」
 
 私の答えを聞いて、男は納得する。影で表情が見えなかったが、おそらく彼は私と同じ笑みを浮かべていただろう。
 
「でも変ですね。致死量以上を酒に混ぜたんですが……」
 
 そう疑問を呟く私の手には、鈍い光を放つ短剣。
 
「まぁ動けないなら、どうでもいいですね」
 
「だろうな」
 
 男は私の言葉にそう返事して、あの不快な笑い声を低く発する。その笑い声を無感情に聞きながら、私は男の喉元に銀の刃を走らせた。
 
 
 
 白に近い色の私の髪が、今は真っ赤な色に汚れ染まる。
 いや、髪だけじゃない。私の顔も服も、ついでに周囲が同じ色に汚れていた。
 
「……なんであんたが殺しちゃうのよ」
 
 抑揚無い声が入り口ドアから聞こえ、私は男の死体に跨ったまま顔を上げる。視線の先には私以上に血塗れになったレイリスが、私を不機嫌そうな顔で睨みつけて立っていた。
 彼の右手には誰かの肉片が僅かにこびり付く短刀、そして左手には男の首。胴から切り離された断面から赤い液体を零すそれは、ヴァイゼスでもリーダーに心酔していた人物のものだった。
 
「あぁ、ご苦労様」
 
「うるさいのはみんなやったわ。でもあたしが一番ぶっ殺してやりたかったのは、やっぱりこいつ。なのに……」
 
 レイリスは首を投げ捨てると、こちらへと向かって歩く。
 転がった男の首が壁にぶつかり、暗い瞳を私に向けて停止した。それと同時に、レイリスも男の死体の前で立ち止まる。
 
「ごめんね」
 
「あんたに協力するんじゃなくて、あんたを一番に殺すべきだったかもね」
 
 私の謝罪に、レイリスは私を睨んだままそう吐き捨てる。そして彼は短刀を持ち替え、壮絶な復讐の目で男を見下ろした。
 
「墓標くらいはあたしが立ててもいいでしょう?」
 
 その言葉を言い終えると同時にレイリスは、男の顔に向けた短刀の刃先を一気に垂直に振り下ろす。肉が断ち切られ、骨が砕ける嫌な音が室内に響いた。
 
「長くお世話になったわ、クズ野郎。これからは地獄の底でめいっぱい苦しんでね」
 
 赤に染まりきっていた銀の刃は、男の墓標として彼の顔面に残酷に突き立つ。私はそれをただ黙って見つめた。
 
 
 
 しばらくして、私たちの元にエレスティンがやって来る。彼女は部屋の凄惨な状況に一瞬悲鳴をあげるも、直ぐに冷静さを取り戻して私に報告する。
 
「実験体の保護は終わりました。今はヒスが彼らを見ています。それとカナリティアも」
 
「そうか。メンバーの様子はどうだい?」
 
「えぇ、一応混乱は最小限だと……抵抗の可能性があるものは事前にレイリスが手を打っていたので、思ったよりは混乱はありませんでした。それでも強く抵抗してきたものはクロウたちが相手を……」
 
「なるほど、ありがとう。私も直ぐにそっちの手伝いにいくよ」
 
「はい」
 
 頬の血を拭い、私は立ち上がる。エレスティンが「ジューザス様、怪我は?」と聞くので、私は「大丈夫だよ」と微笑み返した。
 
「本当に大変なのはこれからだね」
 
 
 狂気の檻は解き放った。
 これからが本当の救済と、そして贖罪の始まり。
 
【END】

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